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テレ朝流の皇室論議
去る日曜日、テレビ朝日の番組 「サンデー・プロジェクト」 で、司會の田原総一郎さんは、件の皇室典範改正問題に關して、ゲストの櫻井よしこさんに、かう言つて迫つてゐた。 曰く、明治憲法下では 「天皇は神聖にして侵すべからず」 となつてゐたが、それでいゝのか云々。
だが、明治憲法に據ると據らざるとに拘らず、歴史を通じて 「天皇」 は名實ともに 「神聖」 だつたのではないか?
櫻井よしこさんも指摘してをられたやうだが …… 、と云ふのは、私はいつもこの番組を、他の事をしながらの 「切れ切れ視聽」 しかしないので、「やうだが ……」 としか言へないのだが、抑も 「天皇」 と云ふ名稱自體、「神聖」 の意を含んだものだし、また實態としても、その地位は歴史を通じて 「神聖不可侵」 だつた。
成程、謂はゆる 「武家政權」 が誕生して以來、 皇室は隨分と粗末に扱はれもしたが、それでも皇族に非ざる臣下にして、皇位の簒奪をあからさまに企てた者は一人もゐなかつた。 よく名前の擧げられる弓削道鏡にしても、確か作家の杉本苑子さんも言つてらした筈だが、彼を 「皇位」 ならぬ 「帝位」 に附けようと畫策したのは、寧ろ稱徳女帝の方だつたらしい。
田原氏のみならず大方の 「識者」 らには、天皇を 「神聖視」 するのは迷信であり、ないしは時代錯誤である、との思ひ込みがあるやうだが、それは恐らく、「神」 を 「ゴッド」 と同義、と捉へるがゆゑの誤謬であらう。
私如きが今更言ふのも烏滸がましいが、大和言葉の 「神」、即ち 「加美」 とか 「あきつみかみ」 とか云ふのは、絶對超越神を意味する 「ゴッド」 とは斷じて同義ではない。
それが證據に、紀貫之は 「古今和歌集」 の假名序に、かう書いてゐる。 曰く、「力をも要れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、彪き武士の心をも慰むるは歌也」 云々。
即ち日本人の謂ふ 「鬼神」 ないし 「神」 とは、「歌」 即ち和歌を奉れば人間の意の儘に操れるのである。 それが 「ゴッド」 だなんぞと、例へばキリスト教徒に言へば、彼らは恐らく目を囘すだらう。
私は何も 「聖書」 を勉強せよと言つてゐるのではない。 それに關する知識ならば、奇妙な事に我々は隨分豐富に持つてゐて、折々その章句を引用しながら暮してもゐる。
我々に足らないのは、寧ろ自國の傳統や古典に關する知識なのだ。 苟くも二千年からの傳統を持つとされる我が皇室の在り方を論ずるのならば、「古事記」 や 「日本書紀」 は言ふに及ばず、それらに加へて、せめて本居宣長くらゐは讀んでからにして貰ひたいのである。
勿論、天皇を 「ゴッド」 ではない迄も 「加美」 とか 「あきつみかみ」 とか看做すのは、或る意味、「フィクション」 かも知れない。 だが、さう云ふ 「フィクション」 無くして、果して文化や文明は成り立つのか。
分り易い例を一つ擧げれば、「基本的人權」 が 「天賦」 たる事は田原氏らも認めるであらうが、その 「天賦人權説」 に謂ふ 「天」 とは、正に 「フィクショナル」 な概念ではないか。
また高等數學を驅使して宇宙の始原を説く 「ビッグバン・セオリー」 にしてからが、最初に 「神の一撃」 があつたと云ふ 「フィクション」 を据ゑなければ、二進も三進も行かぬらしいではないか。
同番組ではまた、皇室の始原は天照大御神、即ち 「女神」 であつて、だから皇統は本來 「女系」 なのだとか、我國のやうな農耕社會に於ては 「母系相續」 が自然で一般的なのだ、とか云ふ議論も爲されてゐたやうだが、それもまた一知半解の議論である。
「古事記」 を讀めば分る事だが、先づ天照大御神の父神は伊邪那岐命、即ち 「天つ神々」 から 「この漂へる國を修理固成」 すべく遣はされた、詰りは 「正統な統治權」 を 「天賦」 された男神だし、また天照大御神の 「皇配」 は 同じ伊邪那岐命のを父神とする須佐之男命だし、その二柱の神々から天忍穗耳命が生れ、更に天孫・瓊瓊杵命のが生れ……、と云ふ風に、皇統は神代以來、見事に 「男系」 で繋がつてゐるのだ。
また 「農耕社會」 云々に就いても、そこに於て 「母系相續」 が 「一般的」 だつたかどうかの詮索は扨措き、假に我國社會にさう云ふ實態が一時にもせよあつたとすれば、「にも拘らず、皇位だけは男系相續されて來た」 と云ふ事實を、我々は一層、徒だや疎かには出來ない事になるのではないか。
と書いてゐる裡に、さしも温厚冷靜な私も段々に腹が立つて來た。 そこで、聊か我が品性に關はる罵言を吐いて、この記事を 「強制終了」 する事とする。
「雜駁とがさつ」 を賣物にしてゐるらしい田原氏如きに、我が 「皇室」 を論じる資格なんぞ無いつ!